貧乏な男が、金持ち生活をした末路(9)
鼻腔を徐々に満たしていく温い体臭に嫌気がさし、男は車の窓を開けた。そのヘリに肘をかけ、ぐっと体重を車体の側面にあずけると、いかにも人工的な排ガスに下水のヘドロを含んだ臭いが、気候特有のなま暖かい空気にのって流れ込んだ。遠い国は冷房をきわめて好む国民性で、そんなドライバーは不平と諦めの小声を口にした。男は目を瞑り、ドアとシートの角にもたれてだらしなく上がったアゴを動かすこともなく、雨だれで黒く汚れた市街に目をやった。
どんよりとした、土曜の夜だった。
自宅マンションの車寄せに着き、ドライバーにいくらかのチップを渡してハヴァ・ナイス・ウィーケン、おきまりの挨拶を聞くと、カスのような仕事のためにパソコンの前に座り続ける日曜のイメージに滅入りながら、男は軽くうなずいて、ロビーのカウチへ鞄を投げつけ、そのまま自分も突っ伏した。
土曜日をエンジョイしてる?
ロビーのオネイさんが声をかけてきて男は我に返った。
別に、これからこのオネイさんとなにかラブコメディーが始まるような種類の話ではなく、これも単なる通りいっぺんの挨拶だ。そんなわけないだろ、と思いながら、カウチに自分の体臭がちょっと移ってしまっていることに気づいた。
たまには風呂にでも入るか
男は、ああ、これから、と返すと、通りに出てタクシーを拾った。
この国の風俗街は、自宅からそうは離れていない。乗車して数分、サイフの現金を確かめている間に、うるさいネオンの通りに到着した。入口から2階に上がると、ブラックライトに照らされたフロアの奥、ガラス越しに12,3人の女が行儀よく座っている。
ふつう、客はここで飲み物でも頼んでじっくりと品定めをするところだが、男は席にすわることもなく、可もなく不可もない、といった雰囲気のオネイさんを指名して、4階へあがった。
(つづく)