サピエンス全史2

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人類の繁栄は、個人の幸福と同じでない。
むしろ、往々にして人類の繁栄は、個人の幸福の犠牲の上になりたった。

 

 

ひとびとが、より豊かな生活をしたいと思って、農業に手を染めた。

たしかに、これまでの狩猟採集ではとうてい集められなかった量の食料が手に入った。

しかし一方で、個々のひとびとは、狩猟採集の時代よりも長時間・きつい労働をしなければならないハメになった。

 

牛は今世界に20億頭いて、もっとも繁栄した種といえる。
ただし、そのほとんど牛は凄惨な環境で肥育され、食肉とされる。

 

みんなのために、というのは、個人の幸福の犠牲を求めている。
幸福の追及という基本的人権に対立する、公共の福祉というやつ。
そんなの知っている。

新卒入社した当初、すさまじくブラックであった。
7時に家をでて、午前2時に会社を出る。毎日。

次第に、正常な感覚を失っていった。

産業革命の炭鉱の児童労働と似たような境遇が、とうに21世紀に入ったいまでも、厳然としてあり、それに自分が身をおいて消耗していくとは!

 

中学のころに歴史の教科書で見たあの挿絵は、今ではない遠い昔の、どこかの話ではなかったのだ!

おっさんは、もう飲み会につかれた

会社の飲み会ってあるじゃないですか。

昔から嫌いなんですよ、あれ。めんどくさい。しんどい。

いや、良い面もあるとおもうんです。

 

◆そもそも酒がうまい

 これは、この種の話であまり出てくることはないですが、極めて重要な要素です。
 酒を飲む生活が長くなり、アルコール依存が進んでくると、酒がうまくなります。
   とくに若者が飲み会を嫌うというのは、アルコール依存が進んでおらず、酒がうまいと感じる人が少ない傾向が関係していることを、かならず押えておかなければならないとおもいます。

 

◆なんか話すか、なんか聞く

 

 他人なんて何考えて生きてるか、わかりようもありません。
   飲み会で、誰かになんか話すか、誰かからなんか聞けば、
  相手を分かった気がして、今日より明日のほうが、仕事で話すときの心理的負担は軽減されるでしょう。

 

一方で、悪い面なんですけどね、

 

◆疲れる

 2時間とか長ぇよ。
   2次会とか気がくるっている。

◆絶望する

 他人の話なんて9割がた、まったく面白くないです。
   そしておれの話なんて、誰も興味ないです。

酒をのむと理性の働きが弱くなるわけですが、
ながいあいだ興味ない話に晒されると、たとえばふと、時計に目をやってしまうんですよ。
 正直な反応だとおもいます。けっこうやっている人おおいです。

 彼がしゃべっているときに、ふと時計に目をやった彼女のしぐさは、
  彼をどう思わせたのでしょうか。

  彼女がしゃべっているときに、ふと時計に目をやった彼のしぐさを
 彼女はさっきみていました。

 

飲みニケーション(死語?)で職場の関係をよくするという目的が、ある程度達成された先には、他人どうしの埋め難い価値観の違いが横たわっております。

人ってわかりあえる他人にめぐり合いたいと思って生きてませんかね?

そのような他人はどこにもおらず、まして隣人にいるはずもないという悲しい事実を、あえて見たくはないんですよ。


 
    
  

仕事しないおばさんは、それでいいのか?

仕事しないおばさんがいるんですよ。

わたしのデスクのとなりに。

 

もう15年ぐらい働いていて、実はわたしと同年の入社です。

 

15年ぐらい働いている、というのは語弊があって、
すくなくともわたしが知っている、ここ5年ぐらい、そのおばちゃんが頑張ってやっているところを見たことがありません。

 

だから、正確にいえば、15年働いているおばさんではなくて、
15年会社に所属していて、すくなくともそのうち5年は頑張ってないおばさんです。

 

かたや、同じオフィスの偉い人から若い人まで、ほとんどの人は、締切りに煽られ、失敗を怖れ、スムーズに行かないことにいらだち、ストレスでときに眉間に皺をよせ、居心地の悪さを感じながら、やっとの思いで仕事をやっています。まさに、頑張っている感じがするわけです。

 

仕事をしないとなりのおばさんは、そんな感じがぜんぜんしない。

わからないことは、わからないからできないと言って上司に投げ返す。
わかっていることは、ほとんどは後輩にぶん投げる。

 

後輩がわかりません、と聞いてきたら一応おしえます。教えられる仕事しかやらないから、まあ教えられるといえば、教えられるわけです。

ただ、その教えるとは、お世辞にも丁寧とはおもえなやり方で、ごく簡単に、誰々に聞いたら?、とか、どこどこの部署に確認して、みたいな感じです。

 

その丁寧ともいえない指導で、できる後輩を優秀と言うし、できない後輩はダメな人といいます。

 

おばさん自身は、仕事面の成長が止まっています。

はたして、それでいいんですかね? もっと一生懸命やれよ、チャレンジしろよ。

 

この仕事をしないおばさんのことを、辛らつに批判する同僚たちがいます。

わたしも、その同僚に同調しています... 

 

ただし、同調していたのは数年前までです。

 

いまはそう思っておらんです。

 

そのおばさん、いわゆる一般職で、もう出世の上限に張り付いているし、

給料も上がらないです。

今以上、彼女が工夫できることは、仕事負荷を減らすことにより、
同じ給料を、より少ない負担でいただく...

 

このおばさんを批判する同僚たちは2つのグループに分かれます。

 

ひとつは、まだ出世する可能性が残されている(と自分で信じている)おじさんたちです。

この人たちは、批判といっても、冷笑、とか軽侮のような調子です。

 

もうひとつは、そのおばさんがもっと頑張れば楽になる人、あるいはおばさんが頑張らないことにより、割を食っていると感じている人たちです。具体的には、管理職の一部です。

 

この管理職の人たちは、おばさんが投げ返した仕事を、また誰かに指示するか、自分でやらなければなりません。往々にして、他の誰かには、すでにこのおばさんができないであろう、大量の仕事を既に指示しています。たいてい、少々おいて頃合をみはかって、別の誰かに指示をします。

 

管理職の人は、このおばさんに強制的に仕事をさせる術は、ありません。

 

最近、このおばさんのことを批判する気には、なれません。
まったく役に立ってない、というわけではありません。
もちろん、いなくても問題ないです。代わりはいくらでもいますから。

 

しかし、程度の差こそあれ、わたしも同じです。
役に立ってないわけではないかわりに、代わりはいくらでもいます。

 

別に、わたしは自分が代わりのきかない、貴重で役立つ人材でなければならないとは、
おもってないです。ただ、お金がないと困りますが。

 

このおばさんとわたしについて、程度の差はあるような気はしますが、
その程度の差というのは、定型的とか不定型的といった仕事の性質の違いです。

不定形な仕事というのは、あまり前例などがなく、仮説をたてて、試行錯誤しながらやっていく仕事です。遂行の過程で、大小の失敗は日常茶飯事です。

前段に書いた、締切りに煽られ、失敗を恐れ、スムーズにいかないことにいらだち、
眉間に皺を寄せることになりがちな性質のものです。

 

かつてわたしは、こういったことをやっていくというのは、それなりに知的な仕事を行う人であり、そういうことをやっていく人はすばらしく、そうあるべきだ、というような考えをもっていました。
だから、仕事をしないおばさんとわたしにある、程度の差、というのは、決定的な差であると思っていたように思います。

 

今では、この程度の差というのは、このおばさんを批判したりする論拠とするほどの、重要なものであるように思えなくなってきました。

 

だって、知的な仕事をしたところで、給料は違いますが、大した違いではないです。

 

一生のうち、元気な時代の、起きている時間のほとんどを、締切りに煽られ、焦り、いらだちながら生きていきたかったのか?

仕事をしないと自分が思っていたおばさんを批判したいのは、、実のところ、うらやましかっただけではなかったのだろうか。 

正直に生きられない自分をごまかすために、冷笑したり侮蔑しているのだと、自分に信じ込ませていたのではないだろうか。 

出世しなくてもよいのではないか?と思った話

出世しなくてもよいのではないか?

 

課長とか、部長とか、役員になったら、なんか素晴らしいものを得られるんじゃないかって、勝手に想像していた自分がおかしかったんです。

 

報酬たっぷり、周りからの尊敬たっぷり、優越感たっぷり、それにくわえて、なにかさらにすごいものがいろいろと...

考えてみれば、だれもわたしにそんなことは言ってなかったんです。

 

で、偉い人を観察すると、確かにいろいろとヒラ社員より報酬・尊敬も集めています。

優越感はその偉い人の中のことなので分かりませんが、ヒラのわたしより持ちやすい状況にはあるかとおもいます。たぶん。

 

しかしながら、偉い人が得ているものがどれだけ多くて、投入している時間や労力に見合うものか?ということについて、はたして得られるもののほうが多いとも、かならずしも言えないだろう、という感覚がここ数年で次第に大きくなり、むしろ固まった、といっていいです。

 

・偉い人が得ているものは、想像していたほどよいものではない

・偉い人が投入する時間や労力は、想像していたものより大きい

 

というわけで、出世があまり魅力的なようにおもえなくなったということです。

 

もうこうなると、出世を諦めたサラリーマンであり、その会社が順調なかぎりは、

日本社会の中において相当めぐまれて、相当つよい奴らの仲間に入りました。

 

変な緊張感が抜けて、むしろ前より会社や社会の役にたってさえ、いるような気さえします。 

そんなぼちぼちやってないで、もっと頑張って、さらに社会に貢献しないといけないのではないか?と思ったこともあります。

 

ただこれも、考えてみれば、だれもわたしにそんなことは言ってなかったんです。

 

 

 

サピエンス全史

ちょっとまえ、サピエンス全史、サピエンス全史とかいってて、昨日ようやく読み始めたけど、こんなに読みやすくて面白いとはものとは思っていなかった。

 

翻訳本ってなんだか難解な文章でかかれた退屈な本という先入観をもっていて敬遠していたが、これはすごい。

 

最初の文でまず感動した。

・135億年前の宇宙の誕生は物質とエネルギーのはじまりで、以降、物理の物語始まる

・135億年マイナス30万年前に原子・分子ができはじめ、化学の物語が加わった

・38億年前に地球に複雑な分子の構造体ができはじめ、生物学の物語加わる

・250万年前に人類誕生

・7万年前くらいにホモ・サピエンスが文化を形成しはじめ、歴史の物語が加わる...

 

 

物理も化学も中学で勉強させるまえに、こういう話を俺の前にだしてくれよ!頼むよ。

パチンコをバカにする常識人()はバカ

3年ぶりの記事ということになります。

何をしていたかっていうと、パチンコっすw
なんら隠すつもりはありません。
ただし、リアルでは隠しますw

来る日も来る日もパチンコパチスロしていました。
世間体最悪。バカの極みと言う人もいるでしょう。

ただし、一歩踏み込んで考えていただきたい!
パチンコなんてするやつはバカ、で思考停止するのは世のありようを理解せんとする賢明な人間の態度ではないです。なぜ平日休日問わず、いい大人が朝っぱらからパチンコ店に列つくって並んでるのか?バカなのか?依存症の哀れな貧乏人なのか?

彼らは同じ人間ではない、バカに脚が生えてるなにかなのか!?

ここで、4つのパターンを考えたいとおもいます。

①世間体が良くて、面白いもの
②世間体が良くて、面白くないもの
③世間体が悪くて、面白いもの
④世間体が悪くて、面白くないもの

①は誰でもやるでしょう
②はやむにやまれずやるでしょう
③はこっそりやるでしょう
④は誰もやらんでしょう

①②はFBとかインスタ見ればおびただしい例あります。基本①というテイで投稿されますが、①か②かの違いを明らかにする方法はなく、拷問するなどで②と言わせることはできるとおもいます。


重要なのは③と④で、④の可能性はないのです。
つまり世間体が悪い行為というのは、③なわけです。面白いわけです。つまりパチンコは面白いわけです。そしてその面白さは、世間体に反比例するわけです。世間体最悪のパチンコは最高に楽しいわけです。

パチンコをやらないのは常識人でも偉いわけでもなんでもなく、面白いことに気づいていないか、できないからです。


ドラッグをやらないのは常識人でも偉いわけでもなんでもなく、面白いことに気づいていないか、できないからです。


離婚をやらないのは常識人でも偉いわけでもなんでもなく、面白いことに気づいていないか、できないからです。


不倫をやらないのは常識人でも偉いわけでもなんでもなく、面白いことに気づいていないか、できないからです。

人生つまらないのは、世間体を気にしているからです。

誰かわたしに最高に世間体が良くて最高に面白いものを教えてもらえませんかね?

仕事ってのはナシで。

(記事考察) 朝日新聞デジタル:スタバ史上最も高いコーヒー 1杯1998円

ホモエコノミクスの観点からニュース考察の第一弾です。

スタバで高額コーヒーが発売されるということだそうです。

 

おそらく、この記事を読む多くの人の第一印象は、「ステマか?」だと思います。

 

 


スタバ史上最も高いコーヒー 1杯1998円 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

 

一見、宣伝でないようで実は宣伝だというのがステマです。

この記事では、ニュースという体裁を装って、明らかに宣伝効果がいかんなく発揮されているという典型的なステマということになるかと思います。

一方、「ステマか?」という常套句は、こういったステマに対して、意図せず望まざるざる影響を受けてしまうことを防ぐために情報源に対して疑ってかかる姿勢を表明する、メディアリテラシー上有効な発言です。

 

さて、ニュース一般にいえることですが、ニュースには以下3人が登場するので、それぞれホモエコノミクスとして何を得することを期待しているのか、見ていくことにしたいと思います。

 

<登場人物>

①スタバ(報道対象)

朝日新聞デジタル(メディア)

③読み手(消費者)

 

<得すること>

①スタバ:

宣伝になって販促ができる→売り上げアップ

朝日新聞デジタル

コーヒーを喫茶店で飲むことあるいはスタバ自体に興味がある人が記事の価値を認める→メディアとしての価値があがる→売り上げ(広告収入)アップ

③読み手

ある人にとっては購読料または見た手間にみあう価値のある情報を入手できた。さらにいくらかの人には、スタバに足を運ぶ楽しみが増える。

該当しない人は、購読料または見た手間以下の価値しか得られなかった。

 

こういうことになると思います。

 

結論として、このニュースはステマではあるけれども、得する人は得をしていて、唯一得をしていない、ニュース価値を感じない人(この人たちがほとんどだと思いますが)の損失も極めて軽微なので、どちらかというと、世の中に何もなかったよりは良い影響を与えている気がします。

 

ステマですが、それに騙される人はこの日本にはたして出現するか微妙ですし、その人の損失は、1,998円とその人がこのパナマ産高級豆コーヒーに結局払ってもよかった金額との差額ということになります。問題にならないですね。

 

この記事による世の中へのプラスの効果とマイナスの効果を合計すると、プラスでしょう。この記事にはそのプラス分の価値があるというのが結論です。

 

そして、このブログ記事は、ぜんぜん普通の話をしているので何の価値もない、ということです。

 

以上