出世しなくてもよいのではないか?と思った話
出世しなくてもよいのではないか?
課長とか、部長とか、役員になったら、なんか素晴らしいものを得られるんじゃないかって、勝手に想像していた自分がおかしかったんです。
報酬たっぷり、周りからの尊敬たっぷり、優越感たっぷり、それにくわえて、なにかさらにすごいものがいろいろと...
考えてみれば、だれもわたしにそんなことは言ってなかったんです。
で、偉い人を観察すると、確かにいろいろとヒラ社員より報酬・尊敬も集めています。
優越感はその偉い人の中のことなので分かりませんが、ヒラのわたしより持ちやすい状況にはあるかとおもいます。たぶん。
しかしながら、偉い人が得ているものがどれだけ多くて、投入している時間や労力に見合うものか?ということについて、はたして得られるもののほうが多いとも、かならずしも言えないだろう、という感覚がここ数年で次第に大きくなり、むしろ固まった、といっていいです。
・偉い人が得ているものは、想像していたほどよいものではない
・偉い人が投入する時間や労力は、想像していたものより大きい
というわけで、出世があまり魅力的なようにおもえなくなったということです。
もうこうなると、出世を諦めたサラリーマンであり、その会社が順調なかぎりは、
日本社会の中において相当めぐまれて、相当つよい奴らの仲間に入りました。
変な緊張感が抜けて、むしろ前より会社や社会の役にたってさえ、いるような気さえします。
そんなぼちぼちやってないで、もっと頑張って、さらに社会に貢献しないといけないのではないか?と思ったこともあります。
ただこれも、考えてみれば、だれもわたしにそんなことは言ってなかったんです。